翠緑のエクリ

神奈川県在中。主な関心は哲学、倫理です。

【感想】手続き的適正、普遍的知性の探偵 Q.E.D.-証明終了-(2/2)

前半(Q.E.D.という「普遍的な知性」のミステリ)へ

 

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 おススメのエピソード

先にも述べた通り、Q.E.D.‐証明終了‐は既刊50巻で一度完結し、2015年からはQ.E.D.iff‐証明終了‐として再スタートしました。2019年1月現在で、連載は通算22年、コミックス60冊・エピソードは120以上に及びます。


推理的/問題解決的知性を多様な題材で描くというスタイルは変わらないながらも、連載期間中でエピソードの傾向にはささやかな変化を見ることができます。


以下ではその傾向を見ながら、おススメのエピソードを紹介します。

本書は、一部に順レギュラーのキャラクターが登場するものの、1冊に2つのエピソードが収録され、基本的にはどの巻から読んでも話が通じるように配慮されていますので、どこからで楽しむことができます。


数学に関するエピソードについては、BestSelection等ですでにまとめられているようなので、ここではあえて取り上げないこととします。

 

Q.E.D.初期(KC1~16巻) 燈馬と可奈の成長、練られたトリック 

初期のQ.E.Dは、トリック、コンゲームというスタイル、燈馬と可奈の関係の成長、それぞれが充実しています。

トリックの仕掛けは最も手の込んでいる時期であり、作中の事件の難解な謎を解きたいと望む読者にとって最もおススメできる時期です。


関係者全員に動機がありながら証言が食い違うという『銀の瞳』(KC1巻)(※1)、展望台という舞台を利用した大胆なトリックが光る『褪せた星図』(KC3巻)、バンジージャンプ施設を舞台にした『フォーリング・ダウン』(KC8巻)など、理系分野に強い作品ならではのアイデアがあります。

 

 

映画スティングに見られるような、頭を使った仕掛けや駆け引きをしながら騙し合う物語形式は「コンゲーム」と呼ばれます。本作には優れたコンゲーム的エピソードがいくつもあり、それだけで別の作品と呼べるほど充実しています。

毎年の4月1日、世界規模で嘘をつく大会『1st, April, 1999』(KC4巻)、敗者には「沈黙の掟」が課せられる財界の大物が開催するゲーム『ゲームの規則』(KC9巻)の二つは、中でも特に優れています。

 

燈馬と可奈の成長は、一種のシリーズとして捉えることができます。
燈馬の妹が登場する『ワタシノキオク...』(KC6巻)、燈馬の精神的な出自を明らかにする『魔女の手の中に』(KC10巻)、『虹の鏡』(KC12巻)と続き、二人の関係に(二人なりのやり方で)名前を付ける『サクラ サクラ』(KC16巻)で一応の段落が着きます(?)。
『魔女の手の中に』は法廷劇でもあります。ファンブックによれば、アメリカの陪審員制裁判を、漫画でここまで表現されたのは初ではないかと言及されています。

 

 


Q.E.D.中期(KC17~34巻) テーマの広がり 人間の記憶や認識をついたアイデア

二人の取り扱う事件の幅が広がり、やがて他国の社会問題などにも関わるようになります。
トリックの斬新さを息をひそめ、代わりに人間の心理や記憶の曖昧さ(遡及性)を利用した仕掛けが見られるようになります。


同作者による兄妹作品『C.M.B.』とのコラボや、MIT時代の悪友で実業家のアランやエリー、探偵同好会など順レギュラーメンバー等が登場し、物語の幅が広がり始めたのもこの時期です。

 

現代社会への批評性がありかつ驚きのあるエピソードといえば、金欠の大学院生が完全犯罪を目指す『罪と罰』(KC24)でしょう。ドストエフスキーの同名の小説をプロットに取り入れながら、読者の感情移入を巧みに操る視点、犯行動機の(ある意味)単純さは、これまでのエピソードには無いものです。

 

 

この間で私が最も好きなエピソードは『立証責任』(KC27)です。裁判員制度の導入に先駆け、模擬裁判が題材とされています。
真実を明らかにすること以上に、司法の権力が適正に用いられるような手続きを重視する燈馬の姿勢は、非常に学者らしい決然とした態度といえます(※2)。

 

 

 

他、学会の闇の一端をテーマとした『瞳の中の悪魔』(KC31巻)、燈馬を驚かせるといういつもとは逆のコンゲーム『マジック&マジック』(KC32巻)などアイデアの光るエピソードもおススメです。

 


Q.E.D.後期(KC35~50巻) 社会性、文学性の高いテーマ郡 

犯罪プロファイリング、オタク趣味、演芸、就活等、時代の流行が事件に取り入れられてきます。
同時に、宇宙ロケットの開発計画や国際紛争に関わるネゴシエーション等、スケールの大きな事件も現れます。

 

中でもひときわスケールが大きいのが『バルキアの特使』(KC41巻)でしょう。独裁者であるバルキア共和国前大統領の処罰を巡って、バルキア共和国とベルギーの国際主権を巡る政治劇です。
「C.M.B.」とのコラボ企画でもあり、バルキア側の大使代理人として燈馬が、ベルギー側代理人としてC.M.B主人公の榊森羅が、それぞれ対決するという筋立てになっています。
国際関係及び関係諸法への入念な下調べが伺える重厚なエピソードです。

 

 

 

政治劇とは違った側面で社会性の強いエピソードとしては、『巡礼』(KC46巻)、『ファイハの画集』(KC48巻)でしょうか。
前者『巡礼』はトリックではなく動機を主眼においた物語で、過去の手紙を通じて一人の人間の友愛と憎悪を辿る、非常に文学的なエピソードになっています。

 

 


後者『ファイハの画集』は不法移民の少女への進学支援が物語の発端です。少女の最後の決断を意外に感じるとしたら、それは私たちが「子どもは大人に導かれる者である」という傲慢さの故なのかもしれません。

 


後期以降、このような女性や子どもの自律というテーマが少しずつ現れており、Q.E.D.の主人公が、燈馬・可奈コンビから、その都度登場する一話限りのわき役たちへと、少しずつ移動しているように思えます。

 

コンゲームの面白さが健在の『ジャンジャーのセールス』(KC43巻)、燈馬に思いを寄せる同級生サリーが現れる『観測』(KC50巻)など、他にも優れたエピソードが多くあります。

 

 

 

 終わりに

ここでは特に社会的テーマ、批評性に優れたエピソードを紹介しました。

2015年より開始した「Q.E.D.iff-証明終了-」では、作中の時間が経過し、燈馬と可奈は高校三年生となりました。二人の関係に表立った進展はない(?)ものの、題材の幅広さ、論理的なプロットに変わりはありません。

 

時代の変化に合わせてか、ネット上のプログラムの脆弱性を突いたハッキングや、投資、AIなど、現代的なテーマも扱われています。初期の既刊を読み返すと、記憶媒体としてMOが登場してはいるものの、ソ連崩壊以降国際社会での「情報」の価値が指数的に増していくと予想されており、本書が時代の本質をつく題材を取り扱っていることに改めて驚かされます。

 

同時に、登場する機器や社会問題の変化から、時代の移り変わりを再確認することができました。

長期連載である本作を追いかける魅力は、普遍的なものと流動的なものを、燈馬と可奈の活躍を通して追いかけることができる、こうした所にもあります。

 

 

※1 『銀の瞳』に使用されたトリックは、ある医療器具の仕様を利用したものでした。しかし、ドラマ化された際、実際には作中の方法で同じ現象を起こすことは不可能であると、日本医用機器工業会よりクレームが入れられ、制作であるNHKが謝罪したという経緯があります(朝日新聞、2009年2月28日)

 

※2 裁判員制度は、1990年代の法制審議会より批判的意見がいくつも出されていたものの、一連の司法制度改革中で法科大学院制度と共に半ば強引に導入された制度でもあります。特に法学者からは、「民意」を裁判に導入するという趣旨に対し、感情と理性を分別するという裁判の原則的機能の再確認が厳しく問われていました。

裁判は、真実を明らかにする場であると同時に、司法の権力が適正に用いられるかどうかをコントロールする場でもあります。そのための権力抑制の原理として、手続きの適正性などが厳格に問われなければなりません。

(参考:法律時報2005年7月号 特集:司法改革のこれまで、そしてこれから2005/7/1 小田中 聰樹、 曽根 泰教)