翠緑のエクリ

神奈川県在中。主な関心は哲学、倫理です。

【書評】アメリカの反知性主義/リチャード・ホーフスタッター

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インテリゲンツィア、知識人

知的であることを人間的な財産として捉える人はどれくらいいるだろうか。
あるいは逆に、「知性的でない」ことをプラスのイメージで捉える人はどれくらいいるだろうか。

日本では知的な人間のことを指して「インテリ」と呼ぶことがある。この語の語源の一つには、ロシア語のインテリゲンツィア(intelligentsia)が思い浮かぶ。
インテリゲンツィアという言葉は、単に頭が良い、高学歴であることを指す言葉でない。それが当時の世でどのように使われていたかを知るには、ドストエフスキーの『罪と罰』が参考になる。

大学をはじめとする高等教育は、全ての人間が受けられる訳ではない。時間をかけた十分な教育を受けるには、経済的猶予、労働から解放された時間、教師や図書など必要な条件があり、このような条件を十二分に持った人間は、現代でも多くはない。
知識、教養を持った人間は社会の限られた存在である。そのため、彼らにはその知性をもって社会や国家の課題に立ち向かうという道徳的責任が付随する。自らの道徳的責任を強く自覚するほど、厳しい現実との間の葛藤は強くなり、このような使命感を持って生きる人々こそが『罪と罰』で描かれた知識人=インテリゲンツィアであった。

使命感をもった知識人

『罪と罰』が書かれたのは1866年、その50年後の1917年にはロシア革命が起こっている。それは、労働者や農民の貧困をはじめとする、資本主義社会の持つ様々な矛盾への対抗軸として、社会主義の理想を具現化しようとする革命でもあった。
このような時代背景を考えれば、知識人が自身の社会的責任に悩むという現象が、言葉以上の重みを持っていただろうことは想像に難くない。

社会の課題に対する理解を深め、社会のあるべき姿を議論し、仲間と共にこれまでとは別の社会体制を作り上げる、あるいは既存の体制を死守する。それが空想ではなく、革命として実現可能な現象として勃発した。しかも、中国や日本など世界の複数の国々にも同時多発的に共産主義思想、社会主義思想が広まりつつあった。

知識人が何を語り、何を信じ、それを民衆に如何に伝えるかは、世界の行く末を左右する主要な要因であった。
当時を生きる人々は、強い実感の基そう思っていたことだろう。


社会主義の行方

しかしながら、19世紀以降の国際政治において力を強めたのは資本主義と民主主義を要とするアメリカ合衆国であった。
社会主義革命を端緒とする革命思想も、時代と共に一時の勢力を失っていったように思われる。合理的思考や思想によって社会を変革しようという言説は、2010年代の現代で、本気で語られることがどれだけあるだろうか。

社会主義思想の顛末を、すぐさま知性や合理的思考の敗北と結びつけることは早計であろう。しかしながら、現代に生きる私たちにとって、論理的な思考や、時間をかけた議論、専門家によるアドバイスを、自分たちの生活をより良きものにするための最適な手段であると考える人が、ごく少数になっていることも疑い得ない。


現代では知識は調べることができる

インターネットとスマートフォンにより、知識は誰でもすぐに調べられるようになった(真偽は別として)。
検索システムのアルゴリズムにより、結論が簡潔で分かりやすく、最もクリック数の高い検索結果が上位を独占するようになった。
SNSにより、物理的な距離ではなく、精神的、政治的な距離の近い意見を選択して抽出できるよう、フィルターは益々性能をあげている。
調べたい知識の結論部を短時間で抜き出すことにかけて、現代のテクノロジーは歴史上比類ないほど進化をしている様にも思える。

TwitterやFacebookを利用すれば、迅速かつ印象的に、長く論理的な文章よりも短く簡潔に感想を抱くことが出来る、論理ではなく感情に訴える情報の群れが、社会的影響力をより強力に獲得していく様子を見ることが出来る。

そしてそれらの情報の多くは恐ろしい速さで消費される。スクリーンショットにより、過去の発信は画像として記憶され、投稿した者が自らの発言を削除をしても半永久的に残り続ける。それらは、発言がなされた文脈や対話の経過から切り離され、単体の画像として見た時の印象や過激さが最も際立つであろうタイミングで、繰り返し添付されていく。

論理的・歴史的な検証の時間は、次のバズツイートを探すための時間に充てられていく。忙しい現代人が使用するインターネットのこうしたサイクルにおいて、自分たちの意見に対立するもの、あるいは感情ではなく理性を使った慎重な検証は、控えめな場合はフィルタリングの対象となり、時間の節約を図られる。そして反応が過熱した場合は「炎上」する。


身体的反応をベースにした言語ゲーム

インターネットで検索をすれば、「炎上」に対する対策と後処理に関するテキストを数多く目にすることが出来る。
これらからは、SNSでのセンシティブな発言を避ける、すぐに反応せず社内の方針を決めてから謝罪するなど、一見すると「慎重」で「冷静」な対応を促す印象を受けるかもしれない。

しかし、その本質は「素早く非を認め謝罪する」ことにより、経済的・社会的損失を避けようとするものがほとんどであり、対立する意見から議論の本質を抽出しようという弁証法的態度ではない。私たちは、webを利用した社会関係において、身体的反応をベースとした言語ゲームの中で、加速を強いられる一方のようだ。

もちろんこれらは、現代のSNS環境のすべてを指し示すものではない。人間の知的活動のすべての面を捉えたものでもない。しかし、我々人類の知的活動に対する社会の反応の、一部を知ることはできる。

論理や事実に基づいた長期的な検証ではなく、感情や印象、体感に基づいた極短期的な反応を主要な態度とする。
社会におけるこうした傾向を、「反知性主義」と名付け、アメリカ社会の宗教・政治・教育幅広い分野から分析したのは、リチャード・ホーフスタッターだ。


ホーフスタッターの見る反知性主義(1)

以下は本書の要約である。

内容をご存じの方、時間のない方は結論部まで飛ばしていただいて構わない。

 

リチャードホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は、1950年代頃からアメリカに現れ出した一つの社会的現象を、「反知性主義」と名付け歴史社会学的な分析を行う。彼によれば、反知性主義は次のように定義される。
「私が反知性主義と呼ぶ心的姿勢と理念の共通の特徴は、知的な生き方及びそれを代表するとされる人々に憤りと疑惑である。そしてそのような生き方の価値を常に矮小化しようとする傾向である」。1

例えば1952年中の選挙期間中からその後にかけて流行した言葉、「エッグヘッド」を挙げる。
「(エッグヘッドとは)見せかけの知的振る舞いをする人、しばしば大学教授あるいはその子分が該当する。……自らを過信し、より有能な人物の経験に対する軽蔑心に満ちている。……民主主義と自由主義というギリシャ的・フランス的・アメリカ的理念に対立する、中世ヨーロッパの社会主義を支持する机上の理論家。…あまりにも一つの問題をすべての側面から検討したがるために、同じ場所にとどまるうちに完全に頭が混乱してしまう。無気力な憂国の士」。2

当時の世では、知的な職業と見なされる大学教授に対し、文学や古典など、現実離れした理想の世界に耽溺しているという強い批判があったようだ。

ホーフスタッターの見る反知性主義(2)

また、別の事例では1957年にセイロンの大使に指名された民間人の例が挙げられる。
いわく、元チェーンストアの会長であるグルック氏は政治や外交の経験は未知数であった。大使に指名された際、インドの首相の名前の発音を知らず、セイロンの首相が誰であるかも知らなかった。ましてやセイロンに行ったことも無かった。
彼は知識や技能によって大使に選ばれたわけではない。多額の寄付など、共和党への貢献によって任命されたのだといううわさが流れたという。アイゼンハワー大統領は噂を否定し、実業家としての経歴、FBIによる素行調査が良好であるための任命であると述べた。
尚、グルック氏はセイロン大使としての職務を1年で辞任した。3

このエピソードは、国民の代表である政治家にとって、知識や経験、誠実さといった能力がほとんど望まれていないことを惹起させる。
60年も前のアメリカの出来事ではあるが、2020年の日本に置き換えたとしてもほとんど違和感がないのは、驚くべきところだろうか。それとも笑うべきところだろうか。

 

反知性主義者を非難するものではない

しかし、本書の意図は、大学教授に対する敵意や、教養のない政治家を単体で批判することではない。

ホーフスタッターの分析によれば、「反知性主義」とは18~19世紀のアメリカの社会と深く結びつき現代まで続いており、先の政治家などはその一形態に過ぎない。
「反知性主義」とは特定の人間や階層を指定するものではなく、知性的な態度に「反する」あるいはそれらを「憎む」という消却的な定義と言える。この意味では、本書の真のテーマは「反知性主義」の内実を探ると同時に、「知性」を重視して生きる人々=「知識人」の在り方を明らかにすることにある。

そのために、ホーフスタッターは、アメリカの18世紀以降の宗教・政治・教育の分野での「反知性主義」的傾向を分析対象とする。歴史的な運動の中でのどのように「反知性主義」が現れ、社会での役割を果たしてきたのかを明らかにする。

ここで重要なのは、ホーフスタッターが「反知性主義」を知識人や社会にとっての単純な「敵」や「悪」とは見なしていないことだ。
本書において最も優れた分析は、「反知性主義」がアメリカという国の本質の一つである「自由」と「平等」の「民主主義」の浸透と同時に進行したという点であろう。

 

アメリカ知識人のゆくえ(1)宗教

本書によれば、アメリカがまだ西洋文明の辺境地であった頃、知識人的役割を果たしていたのは聖職者であるピューリタン牧師たちであった。かれらは聖書の原典と教義のテキストを用い、アメリカ原住民へ布教すると同時に、読み書き等の啓蒙を進めていたとされる。教養と学識に優れた彼らは、知識層としての社会的な立場を持っていたが、西部への布教を進めるうちに分派し、権力闘争を起こすようになったという。

メソディストやバプティスト等分派による闘争を繰り返すうち、やがて民衆の支持を受け拡大したのはアメリカプロテスタント福音主義と呼ばれるグループであった。
彼らは口語的な伝承と、説教中に失神して見せるなどの過剰な演技性と、対立宗派を徹底的に攻撃する戦闘性で、原典の解釈にこだわりエリート化する聖書主義者=「根本主義者」たちの権力と排他性を批判しつつ、教義を広めた。

福音主義者の攻撃対象となったのは、伝統的なアメリカらしさに基づく道徳観念や知識教育を大事にするエリート、インテリゲンツィアたちもであった。また、インテリゲンツィアを攻撃したのは追い詰められた根本主義者たちも同様であったという。
根本主義者は、19世紀の知的主流であり高校教育にも取り入れられたダーウィンの進化論が、聖書に反するという主張により議論を展開した。

やがて、アメリカプロテスタント福音主義と根本主義者は、思想的には対立する立場でありながらも、近代合理主義を体現するインテリゲンツィアへの憎悪という点で力を合わせていくことになる。
「事実、現代にきわめて著しく発達したものは、プロテスタントとカトリックの根本主義者間の一種の連合―あるいは、少なくとも協力する態勢―である」。4

 

アメリカ知識人のゆくえ(2)政治と職業

このような歴史的運動は政治と職業に置いても同様であった。
1787年、建国当時の政治的指導者は知識人や専門職であり、彼らはジェントルメンと呼ばれた。しかし、宗教と同様に、分派して内部闘争を繰り返すようになったエリート層に対し民衆は失望し、やがて知性よりも人格を、為政者の資質と考えるようになった。
ジェントルメンはアメリカの政治史において幾度かの浮き沈みを繰り返したが、セオドア・ルーズヴェルトの登場により一つの転機を迎えた。

彼は、古典的な教養や知識に固執専門職ではなく、実用的で役に立つ能力を持った人物を国家の中心に据えるべく公務員制度の改革に着手し、民衆の支持を得た。

教養よりも実用的な知識を、知性よりも人格や人間性を重視する傾向は力を強め、1881年には職業教育的性格を強めたビジネススクールが開校するなど、アメリカ文化の主流となっていった。

このような潮流は、伝統的なアメリカ文化、古典的知識人からの脱却という意味で、先の宗教改革とは一定の協力関係にもあったと言える。

 

アメリカ知識人のゆくえ(3)教育

ホーフスタッターの分析を読み進めれば、人格と実用的知識を重視する反知性主義を、アメリカ国民に一般化したのが、皮肉にも教育であったことが分かる。
18世紀初期のアメリカにとって、教育はラテン語や古典を学ぶ選ばれし者の場であった。しかし、宗教改革や政治的主導者の入れ替わり、労働組合の働きかけなどが進むにつれ、義務教育の期間は次第に延長された。


1910には17歳の子どもの35%が就学し、1964には70%が高校へ進むようになったという。これは、教育を受ける権利を拡大しようとする平等主義的思想に基づくものでもあった。しかし、義務教育の拡大は、勉強がしたいから学校に行くのではなく、強いられて仕方なく行くという生徒の気持ちの変化も引き起こした。

同時に、カリキュラムも変化した。何に役に立つのか分からないヨーロッパの古典を学ぶよりは、卒業後にすぐに役に立つ、労働に貢献できる人材を多く育てる職業教育へと、学校の教育が変化した。

1918年に発表された全米教育協会の「中等教育の主要教育原理」には、来るべきアメリカ社会に貢献すべく、教育の目標が次のように掲げられた。
「そこで当委員会は、以下のものを教育の主要な目標と見なす。1健康、2基本的過程の習得、(中略)3立派な家庭人たること、4天職を持つこと、5市民として行動すること、6余暇の価値ある利用、7倫理に敵った人格」。5

この文言を、2020年現代の日本の中央教育審議会が掲げる教育目標と比較した時、その類似には目を見張るものがあり、その比較は興味深い問いではある。

 

知性の生活適応

知識の実用化とは、言い換えれば知識の一般化でもある。
それまで一部の知識層にのみ許されていた知的な生活や教育、政治的活躍の場が、より広く、多くの人々が享受されるようになり、伝統的な階層性から解き放たれたということでもある。

その意味で言えば、18~19世紀のアメリカ文化、特に宗教、政治、教育の改革運動の歴史とは、平等と自由を求める民主主義の思想そのものであった。ホーフスタッターの分析は、アメリカ民主主義思想が拡大すると同時に、反知性主義が社会に浸透していく過程を明らかにする。

ここでいう反知性主義とは、知的エリートによる政治、聖書と教会の権威、アカデミックな教育の解体であり、知的な権威への強烈な反対運動であった。

それは、アメリカの伝統的な知識人たちの立場を崩し、彼らを社会的に追い詰めた。
しかし、ホーフスタッターによれば、アメリカ知識人はこのような反知性主義的な時代の流れに対し、十分な抵抗力を発揮することができなかった。それは、国家の成立から20世紀にいたるアメリカ特有の歴史的な条件に由来するという。

 

知識人の疎外

アメリカ知識人の危機的状況の一つは、知識人の「疎外」というべき状態であった。
知識人はもはや社会から必要な存在とはされず、理屈っぽく問題を複雑化し、役に立たない知識を有難がる、時代遅れのつまはじきものと見なされるようなった。アメリカ知識人は、反知性主義が蔓延しつつある国家の中で、自らの存在理由に悩み、不安と孤独に苛まれることになった。

一方で、このような疎外は知識人と国家・反知性主義との緊張関係を表すものでもある。疎外は、彼らが国家の反知性主義に対し批判的不服従を貫き、知性の価値を堅守するからこそ起こる現象でもあった。その意味で、知識人と疎外は宿命的な関係にあると言える。

同時期のフランスであれば、それは知識人の実存を問う思想運動として、疎外による連帯を生み出したかもかもしれない。
しかし、アメリカの知識人がとった行動は、社会との和解であった。彼らは国家を受け入れ始め、当時の保守的・愛国的雰囲気に馴染み始めたという。
ホーフスタッターは、1952年のアメリカ知識人の機関紙的存在であったパーティザンレビューを、次のように引用する。
「多くの作家や知識人は、いまや自分の国やその文化に対して以前より親近感をいだくようになった……良かれ悪しかれ大半の作家は、もはや疎外を疎外をアメリカに住む芸術家の運命だとは考えていない。それどころか、彼らはアメリカ的生活の一部でありたいと強く欲している。」6

 

体制順応の時代

当時の多くのアメリカ知識人の反応を、「体制順応の時代」として厳しく批判したのは評論家のアーヴィング・ハウであった。彼は、当時の主流派の知識人が「責任を引き受け、穏健になり、骨抜きにされた」p146と批判し、知識人の取りうべき生活としてボヘミアンを挙げた。

また、ハウに続く左翼知識人からは、「知識人が社会と交われば、社会にのみ込まれるという重大な危険が生じる……知識人が権力に関われば、権力も知識人に関わることになる」等述べた。

ホーフスタッターはによれば、このような知識人らの態度の共通点は、「社会的責任から遠ざかること」であり、知識人であるには、その上で学識があり教養を十分に受けていなければならないということだった。

アメリカ社会の歴史において、このような存在であり続けられたのは、富と余暇を十分に持ち、教育に十分な投資が可能でありながら、社会的な影響力に乏しい、ジェントルマン階級だけであった。

知的な伝統を持った知識人、哲学者、文学者、芸術家たちは、のきなみ国外へ脱出してしまったという。
アメリカの反知性主義への抵抗力は、社会を誘導する十分な力を持つことができなかった。それだけでなく、「アメリカの歴史的経験は、知的伝統や知性に共感する土壌を生み出さなかった」。7

 

疎外礼賛

以上の事情により、1930年以降のアメリカ知識人には特有の精神的現象が現れることとなった。
ホーフスタッターは、それを「疎外礼賛」と呼ぶ。

それは、アメリカ社会の多数派や権力を忌避し、孤立することが一つの社会的価値であるというロマン主義的思考に要約される。前述のハウ教授のように、知識人たちのユートピアとして自由で平等なボヘミアが語られたり、「公認の組織」に関わるものは知識人ではないというような極端な疎外の提唱者たちが現れるようになった。

知識人として如何に社会と関わるべきか、このような考えを深めた結果、社会とある種の緊張感を維持せざるを得なくなったゆえの疎外ではなく、社会から疎外されるがゆえに知識人であるという逆転した考えが主流派となった。

ホーフスタッターによれば、それはアメリカに知性的な伝統と歴史が無かったゆえに起きたことだという。アメリカ知識人は、自らの存在理由が問われた時、フランスやドイツのように知的な伝統と歴史に寄って立つことができなかった。それゆえに、反知性主義を「疎外礼賛」という個人的でナイーブな精神的問題として捉えることしかできなった。彼らは権力や国家、公的な組織との関わりつつ知性を行使する方法から逃避し、分裂を辿ることになった。17世紀からの知識人としての実態は失われ、一方でエリートを憎悪する反知性主義の精神だけは現代でも燻り続けている。8

以上が、ホーフスタッターが診断する「反知性主義」と知識人の歴史である。

 

[結論]アメリカの反知性主義

以上のように見ていくと、本書「アメリカの反知性主義」が訴える問いが、大学教授を始めとする知的専門家やエリートを蔑視する「反知性主義者」を糾弾するだけでないことが分かってくる。
第一に重要な点は、反知性主義者は社会の中である種の歴史的役割を担っているのではないかとう点だ。

本書における「反知性主義」は、歴史的な必然性の中で現れてきた。彼らは、知識人たちを攻撃すると同時に、知識人の限界と脆弱さを露わにした。それは、エリートに対する嫉妬やルサンチマンであると同時に、自由と平等を希求する民主主義的精神からも力を得ていた。その意味で、民主主義において反知性主義と知識人はコインの表裏であると言える。

第二に重要な点は、「反知性主義」への抵抗形態である。19世紀のアメリカ知識人たちが示した「疎外礼賛」は、個々のナイーブな精神活動に留まり、十分な勢力を築くことができなかった。その原因の一つを、ホーフスタッターは知的な伝統の不在ゆえの一種の逃避であると捉えている。

 

日本は「反知性主義」を問題化できるのか

このように考えた時、アメリカ知識人が捕らわれた「疎外礼賛」が、日本の知識人にとって無縁といえるだろうか。

日本の現在の近代主義や文化のうち、大部分は明治期以降に他国から輸入されたものだ。また、戦後民主主義はGHQの指導下で導入された。2020年現代に日本の中に保存された、日本特有の思想を取り出すことは、簡単ではない。

 

日本をとりまく権力や政治や生活の世界において、知性に対する使命感を持って力を合わせる者たちを、私たちは想像することができるだろうか?

 

孤独や不安を逃れる応急措置として、反知性主義の熱と勢いに身を委ねてはいないだろうか?

 

「反知性主義」と対峙するのは、アメリカと同様かそれ以上に困難を伴うように思われる。

ホーフスタッターは、「知識人 疎外と体制順応という章で次のように述べ、本書を締めくくっている。
「リベラルな文化の崩壊は高級文化(ハイカルチャー)の消滅に関する独断的で終末論的な予言は、正しいかもしれないし誤りかもしれない。ただ一つだけ確かに思えるのは、抵抗しようとする意志や、創造力を最大限に発揮させようとする自信よりも、こうした予言が自己憐憫と絶望感を広めようとしていることだ。もちろん現代的条件のもとで、様々な選択の道が閉ざされる可能性はある。未来の文化を支配するのは、ひたすら特定の信条のために邁進する人々かもしれない。……しかし人間の意志が歴史の天秤を左右する限り、人間はそうならないことを信じて生きていける」。9

日本の反知性主義のゆくえ

本書は「アメリカの反知性主義」の歴史を分析する。一方で、そこには「知識人とは何者か」、知識人たる我々は社会の成員としていかに生きるべきかという、という実存的・倫理的問いでもある。

それは『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフを始めとする、古典~近代の文学が抱いてきた、「人間の生きる意味」を問うものでもある。
それが、本書を単なる歴史書と一線を画している。

一方で現代の日本では、知識人という言葉はほとんど死語のようになってしまった。政治でも教育でも知性の意味は変貌を続け、知識や知性はビジネスの現場で役に立つスキルの一つと見なされるようになりつつある。

しかし、「反知性主義」的現象は枚挙に暇がない。2020年の東京オリンピックを巡る議論の杜撰さ一つとっても、「忖度」が横行する日本では、理性は社会で益々居場所を失いつつあるようにも思える。

私たちはホーフスタッターの問いを次のフェーズに進めなければならない時期に来ているのだろう。10
 

 

1 アメリカの反知性主義、R・ホーフスタッター、田村哲夫訳、みすず書房p6
2 同p8
3 同p10
4 同p122
5 同p292
6 同p344
7 同p359
8 2017年の米大統領選挙で人種や国による差別を公言する候補者が当選したことは記憶に新しい
9 同p380
10 知性や理性の復権を目指す研究はアメリカ国内でも進められている。参考として「啓蒙思想2.0」(ジョセフ・ヒース、NTT出版)、またアメリカの政治において理性よりも感情が主導する現状を分析したものとして「社会はなぜ右と左に分かれるのか」(ジョナサン・ハイト、紀伊国屋書店)も面白い。